ダカールで商売を。

日本の良さは西アフリカへ伝わるか?セネガルにて小売店を経営。つくり手と買い手をつなぎます。

商品の撮影と検品をしています。

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「太鼓禁止」。世界遺産であるゴレ島へのフェリーで。

 

先日届いた荷物のチェックと写真撮影を行っています。その様子をすこし。

単調な作業も楽しく。

無事倉庫に収めた商品たち。まずは中身の検品を行っていきます。

1つ1つの段ボールを開けて、状態をチェックし、数を確かめる。

狭い室内で100箱以上の段ボールを細かく移動させながらそんな作業をしていきます。

気温が高い室内でやっているとすぐに汗だく。2人だけで黙々とやり続け帰るころにはお互いヘトヘトです。

 

でもこれがすごく楽しいんですねぇ。

同じような作業を学生時代のアルバイトでやったことがありますが、やっぱり楽しいものではありませんでした。残りの作業時間や、量ばかり気にしていた記憶があります。

でも今はそれがとてもウキウキしながらやっている。

音楽好きなパートナーのSeydina選曲を流しながら、お互い黙々と、でもノリノリで仕事をしていきます。

 

「やらされ仕事との違い」と一言で言ってしまえばそうなのかもしれません。

でも更にそれを言えば「想い入れ」。

それはこれまでの苦労とこれからの未来像、その両方が頭に描けることからくるのでしょう。

 

「この商品を選ぶときめちゃくちゃ揉めたよねぇ(笑)」

「あっ、これ写真で見てた時よりもすごく質がいいね!お客さんに喜ばれそう!」

 

有言無言のそんな「思い出」と「今後」が頭の中を駆け巡っていきます。

 

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1つ1つの箱から商品を取り出しては商品チェック。見る度に想い入れがよみがえる。

サラリーマンの時にもこういう感覚を味わうことは稀だったように思います。

大きな組織の一員というのはある種の「バトンリレー」。

はるか昔の先達が下してきた意思決定を引き継ぎ、未だ見ぬ後人にそれを託していくということが一般的かな、と。

そこには「自分が苦労して築き上げた」という感慨も無ければ、「こういう結果を自分は味わうはずだ」という予感も希薄だったりします。

(これはおそらく、私の年齢(社歴)が浅かったからそう感じたのかもしれません。)

 

もちろん、リレーにはリレーの面白さがあります。

1人では全速力で走れない距離もチームでバトンをつなげばそれができる。

仲間がダメでも自分が、自分がダメでも仲間が挽回してくれる。

 

でも今は短距離走のように自分の力で駆け抜けたい。おそらく今はそんな時期。

スタートも結末も、その両方が感じられる。だからこそ楽しいんでしょう。

 

梱包から想いをはせて。

検品が終わったら次は商品の撮影をしていきます。

カタログなど、後日さまざまな素材として使おうという意図。私が各商品を箱から出し、Seydinaが写真を撮っていきます。

 

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布を使った「簡易スタジオ」で写真を撮っていく。

 

これもまたやっていてとても良かったです。

 

箱を開ける。ひとつひとつの箱にはみっちりと商品が詰まっています。

今回はさまざまなメーカーさんから商品を仕入れているためその方法はバラバラ。けれどもだからこそ個性があって面白い。

私たちが仕入れている生活雑貨は決して高額なものではありません。日本ではありふれたものたちなのかもしれませんし、小売店ではちゃっちゃと開梱作業をして終わりなのでしょう。そこには特に感慨も無いのかなと思います。

 

その点、こちらは様々な障害を乗り越え、遠く地球の裏からわざわざお迎えしています。歓迎度が違います。

企画した人、作った人、梱包をした人etc 梱包の仕方から個性を感じ取りその先にいたはずの関わった人たちのことを想像してしまうんですね。

 

貿易って、すごいなぁと今さらながら思うのです。

例えばある商品は北陸のある県で企画・開発されて、中国で作られ、ふたたび関東に行って、さらに海を渡ってここセネガルにきています。

雪深いある土地で苦労して生み出されたアイデアや工夫が、中国の雇用を生んで、関東にお金を落として、アフリカの人の生活を豊かにする。

 

グローバリゼーションってすごいなぁ、と。

繋がってるんですね。どこかから確実に。

そして私たちは「流通」業者。そのバトンをゴールである消費者にちゃんと渡せるようにしなければいけません。

閃きや苦労や工夫がちゃんとお客さんに伝わるように。

 

想いを伝えて共感を得たり、感情を共有するというのが「コミュニケーション」ならば手段は「言葉」じゃなくてもいいわけですよね。芸術がそうであるように。 

 

世界のどこに行っても「TOYOTAっていいよね!」って言われるように。

そこには言語、思想、宗教なんて関係ないんですよね。

良い商品を見れば、人は自然とその向こうのつくり手に思いをはせる。「へぇ、それいいね。どこでつくられたの?」って。その先の国のことを思う。

 

流通業者として、モノを売っていくなかでもっとそういうことがおこるといいですよね。

「車だけじゃない、電化製品だけじゃない。日本はもっともっとベーシックなモノたちでもすごくいいんだぜ」って。

 

・・・。

なんてことを考えていたら手が止まっていておこられました。

単純作業をしていると、思考がどこかに飛んで行っちゃうことってありませんか?

空想と妄想はほどほどに。いまは手を動かさねばなりません。