オマール青年とクルティエのイディ(後編)
オマール青年とイディの話、つづきます。
国民性?
結局この日はどれも決定的な物件ではなかったため、後日あらためて別の物件を紹介してもらうことにしました。
イディとはその場で別れ、近くまでオマールと歩いて帰ります。
「どうだった?オマール。イディのようにクルティエできそう?」
と聞いてみると、
「僕にはあれだけしゃべりまくるのは無理だよ」と彼は苦笑い。
つづけて
「しっかし、シエラレオネ人たちってああいう風によくしゃべるんだよね。それで商売もすっごく上手。自分もそうだけどギニア人は割とのんびりしてるんだよ。だからああいうと見るといっつも『自分にはできないな』って思っちゃう」
これまであまり
「西アフリカのある国の人から域内の別の国をどう思っているのか?」
という話を聞く機会がなかったので彼の語る「シエラレオネ人観」には興味深いものがありました。
「あぁ、そんな感じで見てるんだ」と。
オマール自身はシエラレオネに行ったことがあるわけではありません。
でも私たちが行ったことのない県の県民性を話題にしたり、「○○のところの人はこういう感じだよね」というイメージを持っているように、西アフリカの中でも人々はなんとなく各国の国民性があるようです。
もちろん、その多くはステレオタイプなのでしょうが。
祖国を遠く離れて
物件を見てまわっている際、イディに質問してみます。
なぜ母国を離れたのか?
「わたしの国で起こった内戦は知ってるでしょう?私はそれが起こるまで兵士をやっていました。でも段々と国が不穏な空気に包まれていってね。人を殺すのも殺されるのもイヤだったので、ことが起こる前に祖国を出ることにしたんです」
では、 なぜセネガルを選んだのか?
「はじめはコートジボワールにも行きましたよ。でも結局そこも大統領選挙をめぐってゴタゴタがあったでしょう?結局平和なところを求めて行きついたのがダカールだったんですよ」
英語に加えてフランス語とセネガルのウォロフ語を話すイディ。英語圏出身の彼にとってフランス語やウォロフ語を習得することは簡単ではなかったはずです。
一見すると押しの強い不動産屋のおじさんですが、その裏には移民として生活していくために必死になっているという事情もあるのかもしれません。
移民が彩るダカールの街
今回登場したオマールもイディも近隣諸国からの移民です。彼ら以外にも物件を探す中でも多くの国から移り住んできた方に出会う機会がたくさんありました。
イディがそうだったように、独立以来大きな紛争を経験していないセネガルは、紛争や内乱を経験して逃れてきた人々が引き付けられる国となっているのかもしれません。
もちろんヨーロッパでもそうであるように、移民が移り住んだ先の社会に溶け込んでいくことは簡単ではないでしょう。現にオマールも職を得られずに途方に暮れています。
また近年ダカールの治安が少し悪化したことを、これら移民のせいにするむきもあります。
しかし一方で、保守的であまり商売っ気のないセネガル人に代わって、こうした人々が必死に働いてビジネスを盛り上げ経済に刺激を与えている側面もあるのかな、とイディの姿をみると感じます。
と、彼らに興味をひかれたり関心を持ってしまうのは、やはり自分自身がいまセネガルに移り住もうとしている「移民候補」であるというのも大きいのかもしれません。
彼らのバイタリティ、負けてはいられませんね。
様々な国の人がすれちがう点もここダカールの魅力のひとつ。
異なる国民性を持つ人々が交差するこの街の顔をもっと楽しんでいきたいものです。