ダカールで商売を。

日本の良さは西アフリカへ伝わるか?セネガルにて小売店を経営。つくり手と買い手をつなぎます。

「ニッポンのベーシックを売ってこい!」

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最初の記事で今の自分がやりたいこととして以下の事を書きました。
もう少し詳しく書くことで自分自身も整理してみたいと思います。

小売を通して日本と西アフリカをつなぐ。つくり手と買い手をつなぐ。

  1. 西アフリカの人々に日本の良い商品をもっと知ってもらいたい!
  2. 小売を通して西アフリカのマーケットを知り、日本企業に発信していきたい!
  3. 開発効果のある商品を開発・販売し、商売を通じて経済発展に貢献したい!

 

1.西アフリカの人々に日本の良い商品をもっと知ってもらいたい!

自動車、バイク、家電だけのJapanブランド

ここセネガルでも「Japanブランド」は当然いまなお健在です。

いまでも毎日の様に知らない男性の方に声をかけられ
「日本の商品は良いクオリティだ!中国のはダメだ!」
という話をされます。
(「ほんとうにSamsungの冷蔵庫はすばらしい!」なんて続いたりするのですが。)

お隣の国がどう捉えられているかは別として、日本人として日本を称賛してもらって嬉しくないわけはありません。

ただ一方で彼らの中にある日本の製品が「TOYOTA*1SHARP*2「HONDA」*3だけであることも事実です。

売られているのがそれらのものだけで彼らが触れられるものが限られるので、当たり前といえばあたりまえなのですが、少し物足りないような気もします。

基礎力から見た日本の強み

日本の良さを振り返って個人的に思うのは、特定分野に限らない全般的な質のよさ。いわば基礎的なレベルの高さ。「基礎力」にあると思っています。

よくいわれるように、消費者のレベルが高いだけに何を買っても一定のクオリティが保たれている。そんな部分が日本の隠れて優れた点だと思っています。特定の会社のみならず社会全体で改善・改良が当然の事となっていないとなかなか実現できないことであるので。

これは、日本にいるとあまり感じないかもしれません。でもたとえば、日本や欧米、中国、地元の製品が混在するセネガルにいるとこうしたアンバランスはよく感じるところです。

「ニッポンのベーシックを売ってこい!」

以前の会社を辞める際、お世話になっていた先輩からこのようなセリフを言われたことがいまでも鮮明に私の頭の中にはあります。

「日本のハイテクなもんの良さはみんな知ってる。そしてその良さに対して今は中韓始め色んな国が挑戦して過当競争になってる。売るなら日常的なもの、ローテクなもの、ベーシックなものだ。誰にだって必要で、誰にだって良さが分かる。日本の良さはそこでも生きる。TVやケータイなど"点"では負けても、生活用品という"面"で勝てばいいんだ

と。これが自分のチャレンジを決定づけたような気がします。

そして色々な商品が揃っていて、一定のクオリティもある。そして何より値段がアフリカの人々にも届くという点で、100円ショップの商品を仕入れて小売をしようと思いました。

第3の選択肢

そんなことをぼんやりと考えながら日本にいるセネガル人の方に会って話を聞いていきました。そこで言われた以下のことにも小売をやろうと強く後押しされました。

日本の商品を売るというのはセネガルの人々に新しい『チョイス』を作るということ。これが人々にとってすごく意味がある。いま現地の人々は品質は良いが高いフランスのものか、質は悪いが安い中国の二択しかない。そこに品質も一定で、値段も手ごろな日本のものが出てくるのは人々にとって『第3の選択肢』になる」

と。「セネガルの人のためになるのはいいなぁ」と思いました。

まぁ、結果からみると来てみたら意外とフランスのものは安く、中国のものも質は悪くなかったりするのですが。

でも、デザインなども含め人々の選択肢が増えるのは良いことだと感じています。

「失われた20年」で得たものを武器に世界へ。

自分が生まれたのは1987年で今28歳になります。

どの歳の方も世代論については一家言あるかと思いますが、わたし(たち)にも自分たちの育ってきた時代に対するイメージがあります。

バブルや冷戦は記憶になく、物心ついたあとにはどん底の不況を背景に震災、テロ、少年による凶悪事件などが続き、日本がきしみ割れる音が聞こえるようでした。「ゆとり世代」と言われつつ、一息ついたら911、社会人かと思えば新たな震災。

「失われた20年」と呼ばれる時間の中で育ってきました。そして今も、そしてこれからも日本という国は難しい時代を生きていくのだろうと思います。

でもそんな時の中でも、私が生きていたその時間には世界に誇れるものが生まれていたのではないか、と思います。

具体的にはこの期間、日本は「安くていいもの」を作る仕組み、技術を磨いてきたのではないでしょうか。ユニクロニトリZoff etcなどこれまで高かったものが、一定の質を満たしているのにある日突然安く手に入るようになる。そんな経験を自分は育ってくる中で何回もしてきた気がします。

そして、その中に「100円ショップ」もあるのかな。と。

それを使って世界に打って出れたら「失われた20年」も意味があったんじゃないのかな、と思っています。

そして実際、大手100円ショップ企業などは世界にどんどん出ており、北アフリカにも進出されているようです。

 

少し、長くなりました。

今回、私たちは100円ショップの商品を仕入れてセネガルで売っていきますが、仕入元はいわゆる大手企業ではありません。
その代り、全ての商品は日本のメーカーの製品となります。(必ずしも全てが日本製なわけではなく、そこには中国製ほかのものも多く含まれます。)

主に中小メーカーさんが「失われた20年」という時代の流れの中で質と価格を両立すべく努力した結果生まれた商品たち。

それを自分たちがアフリカで売る。

アフリカの人々に新たな選択肢を作り、生活を豊かにしてもらう。日本の新たな良さを知ってもらう。

それが結果的に日本のメーカーのためにもなる。

「小売を通して日本と西アフリカをつなぐ。つくり手と買い手をつなぐ。」

ということを掲げるとき、自分ができたらいいなと思うことの背景にはこういうことがあります。

*1:他に三菱、日産などが人気です

*2:セネガルはまだPanasonicの存在感がほぼありません。あと東芝なんかでしょうか

*3:もちろんYAMAHAも知名度は高いです。